富野監督としては、「大人の男=企業戦士」という人間性を無視した当時の社会風潮を表現したかったのかもしれません。
もちろん、「ガンダム」にも戦場での自己犠牲はあります。
しかし、それは自己の価値観によるもの、愛する者のためのもので、そこに大義は感じられません。
むしろ自己表現、自己実現の場のように思えます。
そういう意味では、「ガンダム」という作品は“連合国”的な作品だったといえるのではないでしょうか。
「エヴァ」における大義は、「使徒を殲滅してサードインパクトを未然に防ぎ、人類を守る」というものでした。
これは、“大日本帝国”的だったヤマトに近いものです。
その世界に「ガンダム」同様の、幼い少年が放り込まれます。

しかし、シンジはアムロのようには成長しません。
自己との葛藤を繰り返し、自分の意思でエヴァに乗ったのは第拾九話「男の戦い」でした。
そして、ここにはアムロを成長させた、ホワイトベースという運命共同体もありません。
アスカ然り、ミサト然り、ゲンドウ然り、「人類を守る」という大義を前にしながら、ネルフは個々のエゴが渦巻く集団でしかありませんでした。
しかしそれゆえに非常に現代的であり、「エヴァ」は優れた作品になり得たのです。

ついに『Q』が公開された、新たな「ヱヴァ」。
シンジたちは、この世界でどのような成長を遂げるのでしょうか。
そして、結末は?
今から、興味は尽きません。