作品の世界観でいえば、エヴァは、悪魔にも神にもなりうる両義的な存在として設定されています。
その命運は主人公・碇シンジの双肩に掛かっています。
対する『イデオン』のイデも、善なる力と悪しき力、両方の発現の可能性が示されています。
さらにそうした双極性を持つエヴァとイデのいずれもが、「救世主」と位置づけられているのです。
“旧エヴァ”においてシンジは、キリストの磔刑をなぞるように初号機もろとも量産エヴァにより復活した『生命の木』に磔となり、『イデオン』においては、2つの敵対する種族であるベスとカララの子どもこそがメシア=救世主と名付けられるのです。

このように列挙していくと多くの類似点が散見される両作品ですが、決定的に異なるのは登場人物の死を描写する際の残虐性においてです。
とくに、人類の滅亡を描くシーンに明白な対照性が現れています。
『イデオン』では、次々とメンバーが死んだ挙句、最後はイデオン本体も持ち堪えられず、搭乗員たちの肉体は限界を超え、阿鼻叫喚の中、腕が体からもげて吹き飛ぶ様子まで描かれています。
一方『エヴァ』においては、主要登場人物は不慮の死を遂げることはありません。
皆、自分の死を見つめてから、精神世界の中でひとつになっていくのです。
しかし『イデオン』は、児童を対象としたアニメでありながら、死をリアリティをもって描くことで、逆説的に暴力の悲惨さを訴えているとも考えられます。
『エヴァ』にも多大なる影響を及ぼしたであろう『イデオン』が、富野氏の最高傑作と言われる所以はそこにあるのかもしれません。