こう考えたとき、エヴァという機体は、具象化された母性の象徴だと考えられます。
まだ言葉を覚える前の幼児は、「鏡像段階」といって世界は母親の身体の延長でしかなく、自己と他者の区別は存在していません。
それゆえ幼児は、自分の思った通りに事が運ばないと、泣き叫んで暴れることで意志を表明するのです。
例えばエヴァの暴走は、そうした意図が込められているのではないでしょうか。
自閉的に自己の内的世界に閉じ籠っており、他者を欠いているシンジは、つまるところエヴァという母性に包まれた幼児の状態であるのです。

そして、幼児が他者を知り、現実を受け入れるのは、言葉を知ることによってなのです。
言葉とは理性です。
例えば国家における理性とは法ですが、つまり理性は父権的な擬制(フィクション)として事後的にしか見い出せないものなのです。
それを欠くと人間は成長することができませんが、一方で父権はゲンドウのように権力によって人を支配するのです。
『新劇場版:破』においてエヴァに乗ることを逡巡していたシンジは、綾波レイが使徒に取り込まれたのを知りゲンドウに命令されたからではなく、自発的に助けに向かいます。
これは理性の働きでしょう。
つまり、『エヴァ』は、シンジが母権の全能感と父権の支配を脱し、他者のために生きることを知る「成長譚」になっているのです。