『沖縄決戦』は、自らも従軍経験を持つ岡本氏が、ひたすらリアリズムに徹し、執拗なまでに戦争のプロセスを描いた映画です。
大日本帝国陸軍第三十二軍の防衛作戦の立案シーンに始まるこの映画は、沖縄に迫った米艦隊による空襲や艦砲射撃、上陸してからの酸鼻極まる陸上戦を精確かつ執拗に描いていきます。
話の軸となるのは第三十二軍の将校たちの人間模様ですが、前線で戦う兵士や、逃げ惑う沖縄の人々をも「その場に居合わせた人間」として、ある種均等に映し出すのです。
ドキュメンタリータッチに徹し、あくまでも情緒を排した冷徹な視点で即物的に戦闘の情景を描き出す岡本演出は、逆説的に戦争の悲惨さを捉えているといえるのではないでしょうか。
戦場では、人間は思考を奪われ、ある種機械的に残虐な行為に手を染めてしまいます。殺されないためには、殺すしかありません。
加害者が悪人だから殺すのではなく、状況がその人に残虐な行為を強いるのです。
あるいは殺された人間と生き残った人間を隔てるのは、究極的には確率的な偶然のみです。
つまり、Aが殺されたことが悲劇であるのではなく、Aが殺されなかったかもしれないことにこそ、悲劇の悲劇性は宿るのです。
そうした戦争の本質を、岡本氏は炙り出しているのです。
戦争を直接的に知らない庵野監督が、旧劇場版において、戦略自衛隊のネルフ本部での無差別殺戮を描く際、参考にしたのが『沖縄決戦』の即物的な冷徹さだったのではないでしょうか。
つまり、マギへのハッキングから、準備砲撃、斬り込み隊の突入と、戦争のプロセスそれ自体が執拗に描かれる旧劇場版は、庵野監督が単なる引用に留まらず、リアルな戦争の本質を見据え、それに迫ろうとした、彼のキャリアにおいての結節点となった場面だといえるのかもしれません。