ゆえに、旧約聖書に出てくるソドムとゴモラや、ノアの箱舟は、自我を肥大させた人間の犯した罪を正すため、神自らが下す怒りの鉄槌なのです。
セカンドインパクトとはまさに、そうした神の怒りであり、ゼーレの目論む人類補完計画とは、神の遣いとして地球に鉄槌を下しに襲来した使徒から作り出したエヴァ初号機とシンジがシンクロすること、つまり神と人間が合一し、自我を放棄することで、人間は絶望することも、互いに対立することもなく、現世に天国のような楽園を築くことができる、そうした企図が込められているのではないでしょうか。

しかし、ここで『生物都市』に立ち戻ってみると、はたと考え込んでしまいます。
仮に人類が神と合一し、全体でひとつの生物となって、それにより絶望が取り去られ幸福感が訪れるとしても、自我がないならば、そこに個人の尊厳は存在していません。
これが果たして本当の幸福といえるのでしょうか。
キリスト教においては、人類の「原罪」は、イエス・キリストひとりが負い、十字架にかけられることによって贖われたとされています。
となると、シンジは人類の命運を背負い、自らを犠牲にすることで神と人間を和解に導くキリストと同じ運命を辿ることになります。
しかし、庵野監督はまだ、それに答えてはいないのです。