エヴァンゲリオンの謎

エヴァンゲリオンの謎

第五章

エヴァにも引き継がれる 大日本帝国と日本アニメ史 ②

富野監督としては、「大人の男=企業戦士」という人間性を無視した当時の社会風潮を表現したかったのかもしれません。
もちろん、「ガンダム」にも戦場での自己犠牲はあります。
しかし、それは自己の価値観によるもの、愛する者のためのもので、そこに大義は感じられません。
むしろ自己表現、自己実現の場のように思えます。
そういう意味では、「ガンダム」という作品は“連合国”的な作品だったといえるのではないでしょうか。
「エヴァ」における大義は、「使徒を殲滅してサードインパクトを未然に防ぎ、人類を守る」というものでした。
これは、“大日本帝国”的だったヤマトに近いものです。
その世界に「ガンダム」同様の、幼い少年が放り込まれます。

しかし、シンジはアムロのようには成長しません。
自己との葛藤を繰り返し、自分の意思でエヴァに乗ったのは第拾九話「男の戦い」でした。
そして、ここにはアムロを成長させた、ホワイトベースという運命共同体もありません。
アスカ然り、ミサト然り、ゲンドウ然り、「人類を守る」という大義を前にしながら、ネルフは個々のエゴが渦巻く集団でしかありませんでした。
しかしそれゆえに非常に現代的であり、「エヴァ」は優れた作品になり得たのです。

ついに『Q』が公開された、新たな「ヱヴァ」。
シンジたちは、この世界でどのような成長を遂げるのでしょうか。
そして、結末は?
今から、興味は尽きません。


エヴァにも引き継がれる 大日本帝国と日本アニメ史 ①

最後に、『新世紀エヴァンゲリオン』同様に社会的ブームを巻き起こしたアニメ作品、『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』の中に“大日本帝国”の姿を探ってみたいと思います。

『宇宙戦艦ヤマト』(1974年TV放送、77年劇場版公開)は、プロデューサー・西崎義展氏の太平洋戦争への想いが込められた作品といわれています。
そもそも、タイトルであり主人公たちが乗り込む戦艦が、旧日本海軍が建造した戦艦「大和」です。
主人公たちの名も、沖田、土方、斉藤、徳川、真田といった、新撰組や戦国大名から取られています。
人類滅亡の危機を救うべくヤマトがガミラスと戦う物語は、太平洋戦争で、米国を相手に戦った大和と重なるところがあります。
そして何より「ヤマト」に“大日本帝国”を感じるのは、大義への自己犠牲が美しく描かれていることです。

ここに登場する人物たちは、ヤマトに乗船することの悩みもなければ、死を前にして葛藤することもありません。
進んで特攻に散り、艦と運命をともにします。彼らがどんな生活をし、何を大切にして生きてきたかは描かれません。
大義を前に、個人が無視されるのはまさに“大日本帝国”です。

『機動戦士ガンダム』(79年放映、81年劇場版公開開始)は、戦後生まれの富野喜幸総監督の意識が反映しているように思えます。
“大日本帝国”を思わせるのは敵側のジオン共和国で、主人公・アムロが属する連邦軍はむしろ連合国を想起させます。
物語も、幼さを残す少年が戦争によって突如、大人社会の中に放り込まれ、挫折と葛藤を繰り返しながら成長するという普遍的なものです。
特に、アムロが大人へと成長するにつれ、ニュータイプという兵器としても完成していく過程がアイロニーとなっていました。


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